自分を愛するとは

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みなさまこんにちは とりのねです。




【自分を愛する】とは
一体どういうことでしょう。
自分を大切にし、犠牲にしないとは…。


【自分を愛する】ということについて
私なりの考えをお伝えしたいと思います。





まずは小さなことから。
例えば友達数人でランチに行き
メニューを決めるとき。
あなただけ違うものが食べたいとしたら
どうしますか?


ここで周りの友達に合わせ
自分の本音を押さえるのは自己犠牲。
自分を愛する行為ではありません。


この時、別の人が何の躊躇もなく
食べたい物を注文する姿を見て
『ワガママな人』と思う人は
長い間『自己犠牲』をしてきた人です。


もうひとつ。
あなたのガマンから成り立つ結婚生活。
子供のために…と、あなたはその
息の詰まるような生活を続けますか?


これも自己犠牲ですね。
そして、どんな理由であれ
『子供のために…』とは子供に対して
『あなたがいるせいで…』
『あなたさえいなければ…』と
言っているようなもの。
自己犠牲から愛情は生まれません。





このように、自分のハート(本音)と
微妙にズレることを選択し続けると
ある日その違和感にハッと気づいたとき
それはとても大きなズレとなっています。


その違和感は
『潜在意識のあなた』と
『顕在意識のあなた』との溝。
あなたは自分で作ったその溝に苦しみます。
そしていつの間にかその苦しみを
他者のせいにするクセがついています。
全てはあなたが選択した結果なのに…。





『自分を愛する』とは
自分の身に起こる様々な出来事…
嬉しいこと・悲しいこと・辛いこと・絶望など
全てを認め受け入れるということです。
そしてその様々な出来事に対して
『潜在意識』と『顕在意識』の
ズレを作らない選択をしていく。。ということ。


あなたが引き寄せる出来事は
あなたの選択の結果で成り立っています。
故にあなたの分身であり、
鏡であり、あなた自身なのです。


そのようにして
あなたが作り続けた結果こそ
あなたに最もふさわしい『課題』。
延々と続く登り階段であり
少しずつ高くなるハードルです。
その全てを受け入れることが
あなた自身を愛することになります。


ただし、DV夫に殴られるまま…とか
パワハラに耐え抜く…というのは
受け入れとは違います。
それは自己犠牲ですよ。





私の場合ですが…。
自分自身を受け入れるようになったのは
30代半ば頃。


それからはパート先での出来事や
姑・夫の病気、そして死など
私の目に写るものを
私なりに受け入れてきました。


例えば仕事。
ファミレスでのウェイトレスや
蕎麦屋での体験は、その日その日の
『内なる私』とのコミュニケーションが
外側にそのまま写し出されていました。


お店が満席で
厨房も客席も回らず滞っているとき。
それはまさしく私の滞りでした。
それとは逆に、満席でもお店の回転が
スムーズになることも。。。


どちらにせよ私は自分の
目の前の出来事に対して
『ありがとう』と感謝の気持ちで
接していました。
もちろん、あまりにもお店が忙しい時は
そんなことをすっかり忘れて
イライラしたりもしていましたが…。


このように、あなたの内側の状態は
常に外側に現れています。
なるだけいつも『あなた自身』に
愛情を注いであげてください。
そしてあなたの【本音】を大切に。。。





もし、このブログを読んで
納得いかないなと思ったら…
または納得いくと思ったら…
それもあなたが引き寄せた出来事です。
なぜ引っかかるのか。
なぜ受け入れられるのか。
自分に問いかけてみてくださいね。






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